対談「アナログメディアの可能性」金子遊・西村智弘 にも参加しました

終了後、振り返るとそうそうたるお歴々が参加されていてビックリ!

●16:20 対談「アナログメディアの可能性」【対談】
金子遊×西村智弘(映像評論家、アナログメディア研究会代表)
【作品上映】ペーター・クーベルカ「Dichtung und Wahrheit」16mm 12分 (1996-2003) *日本初公開
デジタル化の加速する今日の状況のなかで、アナログメディアはどこに向かうのか。気鋭の映像作家にして批評家の金子遊氏を迎え、アナログメディアによる映像表現の可能性を問う。対談に先立ち、全作品のビデオ化を拒む伝説の実験映画作家、ペーター・クーベルカの日本未公開作『Dichtung und Wahrheit』を特別上映!
金子遊●映像作家、批評家。ドキュメンタリーマガジン「neoneo」編集委員。劇場公開作に『ベオグラード1999』『ムネオイズム 愛と狂騒の13日間』。編著に『フィルムメーカーズ 個人映画のつくり方』『吉本隆明論集』(アーツアンドクラフツ)、『クリス・マルケル 遊動と闘争のシネアスト』(森話社)、他。

多くの引用と活発で刺激的な発言であり、とーてーぼくの手には負えませんので、箇条書きで。

・冒頭、金子氏がマヤ・デレン http://www.imageforum.co.jp/deren/about.html を引きながらおっしゃっていた、個人映画と商業映画のダイコトミーに強く納得。

・「たき火とフィルム」 いいなぁ。

・西村氏がデジタルとの対比において、相対的なとらえ方がある一方で、と前置きして、フィルム映画は、物質としてつながっている視点でいえばアナログであり、一方で、コマとコマの間をみれば離散的でデジタルともいえる。中間的とも、共存しているともいえるのでは……ということをおっしゃっていた。面白かった。

・1:サイレントからトーキーへ。2:モノクロからカラーへ。そして、3:フィルムからデジタルへ。

・会場の宮崎氏からの指摘、デジタルでは画面に映りうるありとあらゆるすべてをコントロールしなければならない、フィルムでは……

 

〈特別上映〉ペーター・クーベルカ「Dichtung und Wahrheit」(日本初公開)

・(フィルムの)コマにフォーカスして考える……

・「数学的オーダー」

・編集の作家、ペーター・クーベルカ

・「12回観ないとわからない」 12回、上映してください! 

 ・名づけられる前に、やってしまっている。「ジャンル」に同定されえない。

 

西村さんが、あの会場全員の中で一番目に評を発せられたことは、大事だと思う。いの一番に発言することの重要性は、次いで評した金子さんの視点を生んだことにつながっているだろうな。会話は誰かが発言しなければ、成り立たない。次の発言だけでは会話にならないんだから。

ぼくも実は2回目の観賞だったんだけど、この対談でプロフィールや制作スタイルなどをお聞きしてから観た2回目は、また違った観賞になった(同様のカットがいくつあるのか数えながら観たりした)。

ぼくは、フィルムは、そのままでいい。いま持っている/これから持つであろうフィルムをしっかりと残しておくことが大事だなと。

そのフィルムについてのことばがブログやなんかで未来の人が読むことができれば、その作品を観たくなって、フィルムの再生装置なんて簡単につくってしまうんではないかと思う(願わくば41世紀より前に) 。

フィルム作品を人が観たくなる、ということが重要で、そのためには、いまフィルムを観ることができるのなら、作品の良し悪し(感想ね)を何らかの形でwebに残していくことが大事なんじゃないかなぁと思う。

 

~以下5つのエントリは、カンファレンスの最後に水由氏が言われていたこと(いつもおっしゃっているんだけど)ももちろん意識して書いています。